小泉劇場
年末恒例の流行語大賞に「小泉劇場」が選ばれた。劇場型政治家などと言われるご本人も、いろいろな劇場に出かけるのを好んでいるようだ。
「小泉剧场」这个词,获得了年末例行举办的流行语大奖。被人称作是剧场型政治家的小泉本人,好象也喜欢出现在各种各样的剧场。
任期の延長論が出ても、次の総裁選までと「楽日」を示すのも小泉劇場流だが、このところ一段と耳を疑うような発言が続いている。きのう、日中韓の首脳会談の延期を中国政府が発表したことについて述べた。「私はいつでもいいですけどね。向こうが延期する。それでも結構です」
虽然喊出了延长任期的论调,但又表现出到下次大选的这段日子将是“最后的好日子”。虽然这也是小泉剧场流派贯有的作风,但这段时期接连不断的这些言语真叫人怀疑自己的耳朵。昨天,小泉就中国政府发表的中日韩首脑会议延期的问题做了发言“什么时候召开会议我都没有问题。是对方延期举行时间。但那也没有关系”。
イソップ物語の狐(きつね)と鶴を連想した。狐が鶴を招き、スープを平らな皿に入れてすすめる。飲めなかった鶴は、今度は狐を招いて、首の長いツボに入ったスープを出した。相手がいやがり、傷つくことをしていれば、いつか逆の立場に立たされかねない。
(就此事)笔者不由地联想到伊索寓言里狐狸和鹤的故事。狐狸邀请鹤做客,却将汤盛在平平的碟子里款待鹤。喝不到汤的鹤,在下一次款待狐狸时,端出了盛汤用的长颈水瓮。如果厌恶对方,伤害对方的话,很难说自己何时也会陷入到对方这种相反的立场中。
小泉流の対応には「外国の圧力に負けない」という点で評価する見方もあるのだろう。しかし、圧力に負けないのと聞く耳を持たないのとではずいぶん違う。
小泉流派在应对外界时似乎也有以“不屈服于外国压力”这个观点来评价的。但是,究竟是不屈服于压力还是不愿意听取意见,这之间似乎还存在很大的差异。
先月末には、靖国神社への参拝について、「思想及び良心の自由」を規定した憲法19条を引き合いに出して、「まさに精神の自由だ」と述べた。首相の参拝については裁判所の見方が分かれているが、大阪高裁などでは違憲判断が示された。首相は、憲法によって憲法を尊重し守る義務を負っているのだから、慎重に構えるのが国の最高責任者の態度ではないか。
就上个月月底参拜靖国神社一事,小泉引用了宪法第19条的条文“思想及良心的自由”,辩称道“这完全是精神上的自由”。就首相参拜一事,法院的观点也各不相同,但大阪最高法院做出了违宪判决。首相根据宪法应肩负着尊重宪法维护宪法的义务,谨慎行事不正是作为国家最高领导者的态度吗?
今年の、もう一つの流行語大賞は「想定の範囲内(外)」だった。やがて楽日になって小泉劇場がはねた時、日本はどうなっているのか。「想定」の内か外か、心配な段にさしかかっている。
今年,另一条荣获流行语大奖的是“设想的范围内(外)”。就在这小泉剧场即将散场的最后日子里,日本又将何去何从呢?究竟是在这设想之内或是设想之外,真令人越来越担心。