コブシ
自民党が、結党から50周年を記念する大会を開いて「立党五十年宣言」を発表した。「我々は国民の負託に応え、情理を尽くして幾多の問題を克服し、国家の安全と経済的豊かさを実現すべく、つねに主導的役割を果たしてきた……」
自民党召开了建党50周年纪念大会,并在会上发表了《建党50周年宣言》。“我们不负国民的众望,竭尽全力地克服了许多问题,为了国家的安全和经济的富裕,我们一直发挥着主要作用……”
戦後の復興期から半世紀のほとんどの間、政権を担ってきたという自負がほとばしるような文面だ。記念の「宣言」である以上は、勢いづくのは仕方がないのかも知れない。しかし、「情理を尽くして」のくだり一つをとってみても、世に異論はずいぶんあるだろう。
字里行间中掩饰不住,战后复苏这半个世纪的大部分时间,其承担政权的那种自负。既然是作为纪念“宣言”,写得豪情万丈或许也是情非得已之事。但是,单看这“尽情尽理”一说,似乎舆论还颇有争议。
「人情と道理」を尽くすことは、かなり難しい。長い歴史の中では、数を頼んで国会に臨んだこともあったはずだ。議席を多く占めれば占めるほど、その危険と誘惑とは増えてゆく。今のような時だからこそ、党の内外で、情理を尽くすよう努めるべきではないのか。
想要尽可能地“尽情尽理”是相当困难的。在漫长的历史中,应该也还存在着依靠席位而掌控国会的事情。越多地占有国会的议席,其威胁和诱惑也越大。所以此时,不更应在党内外尽可能地“尽情尽理”么?
宮沢元首相が、気になる発言をしていた。「ポスト小泉もこんな言論が封殺された状況では展開のしようがない。もっと自由な議論がなきゃいけないでしょうね」。そんな状況があるとすれば、長く党名に掲げ続けてきた「自由」と「民主」も揺らぐだろう。
原宫泽首相,曾做过一次引人深思的发言。「即便是邮政小泉,在这种言论被封死的状况下是无法大有作为的。我们难道不是需要更加自由的言论吗」。如果一直处于这种状况之下,自民党长期以来所声称的「自由」「民主」的旗号也将遭受摇动吧。
50周年の記念に、自民党本部では、前庭にコブシの木を植えた。「生命力が強く、過酷な状況でも立ち枯れしない。自民党もどんな逆風が吹いてもくじけないように、と選んだ」そうだ。
值此50周年纪念,自民党在其总部的前院种下了辛夷树。据说是因为辛夷树「生命力极强,即使在严酷的状况下也不会枯萎。所以选了此树,希望自民党不管在怎样的逆境中也要傲然不败」。
コブシという名前は、集合果が握り拳に似ていることに由来している。しかし、実際の政治では、くれぐれも数にまかせて拳を振り下ろすようなことがないように願いたい。
辛夷其名源于其复合果形如握拳。但衷心地希望在实际的政治中,不要再发生凭借数量依靠拳头之类的事件了。