アルバイト
「かつては生活費(せいかつひ)や学費(がくひ)稼ぎを目的としたアルバイトも今は切実(せつじつ)さに欠け、むしろ学業の妨(さまた)げになりつつある」。そんなふうに宣言(せんげん)して、埼玉大学(さいたまだいがく)は今春から学生へのアルバイト紹介業務(しょうかいぎょうむ)をやめた。その理由 (りゆう)の一つに担当者(たんとうしゃ)は、「切実さの欠如(けつじょ)」をあげる。
毎月9万8千円の仕送(しおく)りをもらい、1万円の奨学金(しょうがくきん)と2万6千円のアルバイトの収入(しゅうにゅう)など計13万6千円余りで暮らす。家賃(やちん)と光熱費(こうねつひ) に5万1千円、食費(しょくひ)に3万円、教養(きょうよう)や娯楽(ごらく)に1万円使う。全国大学生協連(ぜんこくだいがくせいきょうれん)の調査 (ちょうさ)によると、一人暮らしの平均的(へいきんてき)大学生の姿(すがた)だ。東京の大学に通う学生に限れば、仕送りは12万3千円を超(こ)す。
求人情報誌(きゅうじんじょうほうし)の調査では、アルバイトの目的に7割の学生が「外食(がいしょく)や小遣(こづか)い稼ぎ」をあげ、「旅行(りょこう)やレジャーの資金(しきん)づくり」などが続く。多少(たしょう)とも切実さを感じさせる答えは「生活費(せいかつひ)の補填(ほてん)」で、5番目にようやく登場(とうじょう)する。
かつて、多くの大学生の生活がアルバイトなしでは成り立たない時代があった。「青春の門」(五木寛之)の主人公(しゅじんこう)、伊吹伸介(いぶきしんすけ)のように、製本屋(せいほんや)で働いたり、ときには血を売ったり。苦学生(くがくせい)があちこちにいた。彼らは親になったとき、心中(しんちゅう)に去来(きょらい)したのは「子どもには苦労(くろう)をさせたくない」「順調(じゅんちょう) な学生生活を送らせたい」といった思いだったかもしれない。そして経済(けいざい)の成長(せいちょう)とともに、仕送りできるお金が増えてきた。
ところが、この不況(ふきょう)。仕送りもままならず、アルバイトなしではやっていけない学生が増えているのではないか。しかし生協連や情報誌の担当者 (たんとうしゃ)から返って答えは「父親(ちちおや)の給料(きゅうりょう)が減っても、子どもにはしわ寄せしない。父親の小遣いを減らし、母親(ははおや)も働いて補(おぎな)っている」。増えているのはむしろ、苦労する親、それに甘(あま)える子だというのである。
親の愛情(あいじょう)と子どもへの期待(きたい)。いや、単なる甘やかしか。これもいまの日本の一つの縮図(しゅくず)。
打 工
「曾以赚取生活费和学费为目的的打工现在看来缺乏切实性,它己成为学习的障碍」。埼玉大学宣布。并从今年春天开始不再为学生介绍打工,负责这项工作的人说,其原因之一是「缺乏切实性」。
单身的大学生每月的平均生活费用如下:每月家里寄来的9万8千日元的生活费、1万日元的奖学金和2万6千日元的打工收入等,合计13万6千多日元。房租和水电费及煤气费是5万1千日元、伙食费是3万日元、用于修养及娱乐费用是1万日元。这就是全国大学生生活协同组合的调查结果。仅就在东京地区的大学走读生来说,家里支付的费用就超过了12万3千日元。
据招聘信息杂志的调查,对于打工目的的提问,有70%的学生回答:“为了在外吃饭或赚取零花钱”,其次是:“为了积攒旅游和娱乐所用资金”等等。让人感到多少有点儿切实性的回答是:“贴补生活费”,这样回答的人数总算排在了第五名。
以前曾有许多大学生如果不打工就无法生活。如小说「青春之门」(五木宽之著)的主人公伊吹信介曾在书籍装订厂做工,有时还去卖血。当时有许多工读生。但是,当他们当了父母时,心里一直在环绕这一个问题,就是:“不能让自己的孩子受苦”,“要让孩子顺利地度过学生生活”。而且,随着经济的增长,可提供的孩子的钱就多了起来。
可是,现在经济不景气。于是不能如意地提供的钱,不打工就难以维持生活的学生也就增多了。但是,从全国大学生生活协同组合和信息杂志社负责人那里所得到的反馈是:“虽然父亲的工资减少了,但不能让孩子在经济上受到影响。靠减少父亲的零花钱,母亲出来工作来弥补这一不足。”由此可见,增加的不如说是受苦受累的父母和娇生惯养的孩子。
这是父母对孩子的爱和期待。不,这只不过是一种娇宠吧。这也是当今日本的一个缩影。