『坂の上の雲』

『坂の上の雲』

「一朶(いちだ)の」とは、花のひと枝や雲のひとかたまりを表す時に使われる。司馬遼太郎さんが、「坂の上の雲」(文芸春秋)のあとがきに書いた。「のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう」

“一朵”这个词汇,常用来形容一枝花或者一片云朵。司马辽太郎在「坡上云朵」(文艺春秋)的跋中写到“如果在斜伸向上的坡顶之上,泛着朵白云,那我们将追逐着它勇攀高峰吧。”

政府も軍もまだ小さかった明治期を舞台に、やがて日露戦争を勝利に導く群像に光を当てて描いた。当時、部分部分の義務と権能をもたされたスタッフは、そのチームを強くするというただ一つの目的に向かって進んだとも司馬さんは述べる。一朶の雲とは、群像の目標であり、当時の日本が追い求めた国の姿でもあったのだろう。

文中描绘了“政府和军队以弱小的明治时期为舞台,直至后来闪耀光芒引导日俄战争胜利的众生像。司马先生还说道”当时,肩负部分义务和权限的人们,他们唯一努力的目标就是强壮队伍。所谓的一朵云彩,是大家努力的目标,也是当时日本所追求的理想状态之所在吧。“

日露戦争の後、日本は坂道を転げ落ちるようにして泥沼の戦争にのめり込む。行き着いたのが太平洋戦争だった。「坂の上の雲」には、駆け足で近代化を進めた時代を扱いながら、後の苦い歴史までをも見通す独特の視点が生きている。

日俄战争之后,日本陷入到从斜坡上滚落下一般的泥沼战争之中,并且最终迎来了太平洋战争。在「坂上云朵」中,作者在描绘日本意图飞速进入近代化的同时,又生动地以独特的观点预测了战争给日本带来的苦难历史。

司馬さんが72歳で急逝したのは、96年の2月12日だった。その時、妻みどりさんが発表したメッセージにこんな一節がある。「司馬遼太郎はいつもこの国の行く末を案じておりました」

96年2月12日,司马先生在72岁之时,突然撒手人寰。在当时其妻绿子女士发表了的悼文中有这样一段文字“司马辽太郎对于这个国家的将来总是忧心忡忡”。

それから10年後の、この国の姿はどうだろう。国民の信頼を裏切るような問題の続発は、戦後の日本の60年の軌跡を問い直すようにもみえる。

在司马先生去世后10年后的今天,这个国家又是一种怎样的状态呢。辜负国民信任之类的事情接二连三的发生,令人对战后日本这60年的轨迹心生疑问。

焦土から立ち上がり、国際社会に復帰し、経済成長を遂げ、バブルが崩壊して今に至る。この激動の中、いわば視線を中空に漂わせたまま、なりふり構わずに突き進んできたのかも知れない。今は、足元を見つめ直す時だろう。

从废墟中站起,回归国际社会,迅速地发展经济,进入经济泡沫时代而直至今日。在这激变过程中,或许可以说日本是置人们的视线而不顾,不顾一切地挺进。现在,是否已到了日本重新审视自己步伐的时候了呢。